『嫌われる勇気』から学ぶ "課題の分離" と "褒めることの難しさ"

こんにちは、@ketancho です。珍しく、というより人生で初めて心理学の本を読んだのでそのメモです。読んだ本は『嫌われる勇気』です。決して人間関係に悩んでいるというわけではなく、同僚が "課題の分離" という考え方を教えてくれたので、それをちゃんと勉強したいなというのがこの本を読もうと思ったきっかけです。

この本はアドラー心理学が元になっています。本文中に「この考え方を理解するにはこれまで生きてきた年数の半分がかかる」と書かれているように、正直理解できていないことがたくさん残っているのですが、面白いと思った部分を中心にメモに残しておこうと思います。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

課題の分離

"課題の分離" は「これは誰の課題なのか?」という視点を持ち、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある、そして他者の課題に土足で踏み込むことをやめよう、という考え方です。「その選択による結末を最終的に引き受ける人が誰か?」という視点で考えることで誰の課題かを見極めることができます。

例えば "自分の子どもが勉強しない" は、子どもの課題であり、親の課題ではない(勉強しなくて将来困るのは子ども自身)というわけです。そして、対人関係のトラブルは、他者の課題に踏み込むことで発生している、というのが著者(アドラー心理学自体の?)考え方です。

上の子どもの例は、いわゆる「子どもの前に落ちている小石は拾うな」的な話なのかなという点では納得できました。それと同時に、放任との線引きが難しいなとも感じます。

アドラー心理学としては放任主義を推奨しているわけでは決してないそうで、子どもを見守り、それがあなたの課題だということを伝え、そしてそれに向き合いたい場合は支援するよという表明は積極的にすべきだという考え方です。ただし、あくまで "他者の" 課題なので、頼まれてもいないのに口出ししてはならないのです。「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざが、まさにこれを表しているということです。

嫌われる勇気

本書では、先ほどの "課題の分離" をベースに話が進んでいき、タイトルにある "嫌われる勇気" に話が進んでいきます。私自身にできることは "自分が最良の道だと思うことを進むこと" までで、それを他人がどう評価するかは "他者の課題" であるので気にしてもしゃーない、ということです。

この "嫌われる勇気" 的な考え方については賛同で、他人の目を気にするのではなく、自分がやりたいことや正しいと思うことをすればよいと思っています。周りの人の評価はどうでもいい、とまでは言わないものの、それに振り回される時間を自分が意義があると思うことに費やしたい派です。

しかし、その前の "課題の分離" 的な考え方についてはできてないシーンが多い気がしました。まさに上にある子どもの例で、小石は拾わないようにしつつも、「いやいや、それが小石なのか岩なのか針なのかは転んでみなきゃわからないでしょ」とも思ってしまい、危ないことはさせたくないなーと思ってしまいます。これをやりすぎると先々レールを敷いてしまうことに繋がってしまうのだと思うので、気をつけないといけないのかもしれません。また、仕事でも「きっとこの人はこう困っているから」と先回りしすぎてしまうことがあるのですが "課題の分離" 的には違うのかもしれません。このあたりのバランスを考え直すきっかけにしていきたいと思います。

褒めてはいけない

本書の中に「人が他人を褒めるとき、その目的は自分よりも能力の劣る相手を操作することにある」「人は褒められることによって "自分には能力がない" という信念を形成していく」という記載があります。正直、最初は何を言っているのか全く分かりませんでした。下のツイートは私の想いではなく青年の主張(この本は哲人と青年の対話形式で進みます)なのですが、この青年の感情に近い想いで私も読んでいました。

ただ、読み進めていると少しずつ言わんとしていることが分かってきました。褒められた人は当然嬉しいので「次も褒められるように行動しよう」と思ってしまいます。しかし、それは本人の目的が "褒められること" になってしまい、"課題の分離" の考え方から反してしまうわけです。あくまで取り組むべきは "自分の" 課題であり、それをどう評価するかは他者が決めることなわけです。

そして、フィードバックしてはいけないかというとそうではないです。"褒める" という行為は、前提として縦の人間関係があり、アドラー心理学では全ての人間を対等な横の関係であるべきだと提唱しています。筆者いわく、ここはアドラー心理学の根本だそうです。では、横の関係が前提となったときにどのようにフィードバックすべきかというと、"勇気づけ" というアプローチをとるべきだと主張しています。"褒める" という評価が含まれるフィードバックではなく、「ありがとう」という感謝や「助かったよ」というお礼の言葉で "勇気づけ" をしていくべきだということだそうです。

この違いは紙一重な気がするものの、分からんでもないなと思いつつあります。"先生に褒められたい" から頑張る、"親を困らせたくないから" 頑張る、のは間違いではないが、本人の意志や情熱、夢が全くないなと思います。これはそう行動している人たちを咎めたいわけではありません。私自体が今振り返るとそういう行動をした結果「結局自分は何がしたいんだ」と思ってしまった時期があったので書いています。

私は親バカなので子どもを褒めまくってしまいます。しかし、子どもが「褒めてもらうために頑張る」と思ってしまうのは避けたいところで、自分の意志で自分がやりたいことを決めてもらいたく、そこに親が介在しないようにしたいです。ただ、褒めないのは褒める以上に難しくないですか?悩ましい。とりあえず、対等な立場でフィードバックできるような意識を持っていきたいなと思いました。

まとめ:ダンスするように生きているか?

本の最後に、先を見て生きるなというメッセージがあります(と私は理解しました)。先の目標を立ててそこに到着するかしないかという 0 or 100 ではなく、今懸命に踊れているかの方が大事だという話です。過去何があったか、未来がどうなるかは関係なく、今を真剣に(NOT 深刻に)生きようぜとというメッセージです。この章はとてもいいなと思いました。

冒頭に書いた通り、腹落ちできていない部分もあり、あくまで "心理学" なので全人類がこの考え方をせねばならぬというわけではないと思うのですが、公私ともに色々と気付きのあるとても面白い本でした。日々、自分が何をしたいのか、何を目指したいのかを忘れることなく踊っていきたいです。

ポエミーな内容になってしまいましたが、自分が普段読まないジャンルの本を読むのも楽しいなと思った週末でした。今年も半分が終わろうとしていますが、改めて後半戦も走っていきたいと思います。それでは。

嫌われる勇気

嫌われる勇気